2019/01/12

1月6日はミーソンの遺跡に行きました。

We went to the ruins of Misson of World Heritage in the morning. 
It was a sanctuary of the Kingdom of Champa which flourished from the 7th century to the 13th century.
This ruin was discovered by the French in the 20th century.

We finished lunch in the afternoon and went back to the hotel around 3 o'clock.


午前中は世界遺産の ; ミーソンの遺跡 ; に行きました。
ここは 7世紀から 13世紀に栄えたチャンパ王国の聖地でした。ヒンデゥー教のシバ神を祀ったものですが、残念ながらこれまでの近隣の民族との戦いで、シバ神の首は取られたままになっていました。
ベトナム戦争の折には B29 の爆撃を受けて、大半の遺跡が破壊されました。今もざっくりとした大きな穴があるのは砲弾の落ちた跡だそうです。現在は文化保護団体などの援助を受けて修復が継続して勧められています。入り口すぐに立派な博物館が建てられていますが、これは日本の援助で出来たそうです。何か誇らしい気持ちになりました。知らないのは単に私の無知かも知れませんが、私達が知らないところで、日本は東南アジアの国々に援助をしているのですね。
カンボジアでも道路を作ってくれた日本に感謝しているとガイドさんが言ってくれました。そうそう、昨日からのガイドさんはまだ30代の男性ですが、生まれ変わったら日本人になりたいと話されました。アジアでは、韓国、中国の北京、上海、台湾とカンボジアしか行っていませんが、日本は結構人気があります。
皆さんにこれをお伝えしておきます。
遺跡群の入口に瀟洒な建物があり、そこでは妙齢な男女がベトナムの舞踊や演奏を披露してくれました。タイ、カンボジア、インドネシア、バリとよく似ているようです。
遺跡にはホイアンのホテルから車で約1時間で到着しましたが、途中の風景で、ベトナム人の暮らし方が上っ面ですが見えてきました。 米は二毛作、三毛作もあるそうです。ホイアンの近くの農村では田植えの準備をしていました。社会主義の国なので、土地は国家のもので、労動力で何がしかの対価を貰うようです。また、耕運機はごく稀に見ましたが殆ど見ることはなく、多分人力と牛で田おこしを進めているようでした。
道路は、かなり舗装されています。野犬があちこちでウロウロしていましたが、猫は見ませんでした。丸々しているので、みなで養われているようです。
昼食は美味しいベトナム料理を頂きました。ベトナムといっても私には中国料理に思えます。長い間中国の属国であったので影響は大のようです。
揚げ春巻き、春雨を野菜と炒めたもの、かぼちゃのスープにはホッとしました。他にもありましたが名前が分かりません。いずれもとても美味しい味付けでした。
昼食を済ませて、蚕を飼育して糸を紡ぎ、刺繍、額絵などに加工する工房を見学しました。私はすぐに ; あゝ野麦峠 ; が思い浮かびました。
日本では明治の頃の絹織物は貿易の花形で、外貨を稼ぐ最大の手段だったそうで、ベトナムも頑張ったのかな⁉️ などと、想像を巡らせました。
3時頃にはホテルに帰りました。オプショナルで足つぼマッサージに行くかどうか迷っています。
明日はダナンから、ハノイにやはり飛行機を使って移動します。


ミーソンの苔むした遺跡です。

ホイアン近郷の農村風景です。
これから田植えが始まるそ
うです。

煉瓦造りで下部が修復された部分らしいです。
神様が彫刻
されています。

遺跡博物館は、日本の援助で建築されました。






絹製品の工房の風景です。刺繍をしていました。

絹で刺繍された作品です。


どれもとても美味しい昼食ですが、
私達4人には毎回量が
多すぎました。

ホテルのプールです。

プールの側で食事ができます。

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